永島慎二プロフィール

永島慎二
15歳デビューから67歳まで、青春漫画の教祖と呼ばれた永島慎二先生の足跡をたどるページです。






年譜
昭和12年(1937) 0歳
7月8日 東京市滝野川区西ヶ原町(現北区滝野川)に生まれる
父 永島徳太郎 母 ハナ
昭和18年(1943) 6歳
父出征
昭和19年(1944) 7歳
インドネシア南方 ハルマヘラ島にて父戦病死
昭和20年(1945) 8歳
3月 東京大空襲 永島家が営む中板橋の雑貨屋も丸焼け
4月 板橋第一小学校に入学 その後空襲で家を焼かれ奥利根に疎開
8月 栃木県八板にて終戦を迎える
昭和22年(1947) 10歳
3月 「新宝島」にて手塚治虫を知る
昭和23年(1948) 11歳
麻布十番街に転居 一家四人で三畳一間の長屋に暮らす
太宰治 入水自殺
昭和24年(1949) 12歳
港区赤羽第一小学校を卒業 麻布城南中学校へ入学 新宿初台に転居
湯川秀樹ノーベル賞受賞
「冒険王」「漫画王」創刊
昭和26年(1951) 14歳
サンフランシスコ平和条約調印
品川に転居 母と姉が天ぷら屋を始める 入口一間、奥行きは二~三間 住居兼店舗
目黒第一中学校を2年で中退 家出
酒屋、洗濯屋、自転車修理、縁日のたたき売り、豆腐売り運送屋など転々
夜中に漫画を描くためいずれも長続きせず
昭和27年(1952) 15歳
品川の自宅に戻り漫画を描く
2月「天井桟敷の人々」第二部「白い男」を観る 後にピエロを描くきかっかけとなる
夏 妹の武子死亡 大井滝井街に転居
『さんしょのピリちゃん』でデビュー
昭和28年(1953) 16歳
NHKテレビ放送開始
『ひまわりキッド』
昭和29年(1954) 17歳
遠藤政治と知り合う
映画「ゴジラ」公開
『三日月童子』『謎の白仮面』『愛犬たろう』
昭和30年(1955) 18歳
若木書房でつげ義春と知り合う
手塚治虫先生の「丹下左膳」を手伝う(藤子不二雄A氏も参加)
「ぼくら」「なかよし」「りぼん」創刊
『道中双六』『丹兵工行状記』『涙のオルゴール』『花びら物語り』『親子鳥』
昭和31年(1956) 19歳
鈴木光明と「かっこう会」発足 石ノ森正太郎、赤塚不二夫も
『愛犬タロ』『白い雪は呼んでいる』『雪の夜の出来事』『山の章太郎』『熱球球太』
昭和32年(1957) 20歳
「むさしのまんがプロ」結成。 メンバーは杉村篤、中城建、安松健夫、石川球太。
紙ヒコーキを作り、近所の子供達と一緒に飛ばす。 ソ連スプートニク一号打ち上げ成功。
「あだうち狂時代」「みかづきの歌」「サトコは町の子」「王様と私」「つたとバレー靴」
「虹の中の少女」「荒木又右衛門」「後藤又兵衛」「ポッポの冒険」「コロの物語」
「三人の暗殺者」「百円札にかけられた二つの願い」「ルパン」「ひな子ちゃん」「森の竜神」
「シャボン玉天使」「ターザン」
昭和33年(1958) 21歳
主に少女誌を中心に活動。「むさしのまんがプロ」9月解散。
「少年〇戦隊」「モーさん」「ハリケーン五郎」「地獄のドライブ」
雑誌での発表を辞め、貸本誌に絞って活動。(ニッポンGメン 星方行助シリーズ)三洋社
長井勝一と知り合う。「少年マガジン」「少年サンデー」創刊。
「Gメン(殺し屋/俺を殺せ/昼下がりのせんりつ/珍版悪友の発明/ルパンとガニマル
/マシンガンの滝/ある男の一生/少ない報酬/落日/小さな訪問者/道化の季節/愛/死神
/勝負/思い出/暗殺計画)」
昭和34年(1959) 22歳
昭和35年(1960) 23歳
日暮里にアパートを借り、永瀬小百合と結婚。阿佐谷に転居。
シリーズ「殺し屋人別帳」スタート。
10月 淺沼社会党委員長刺殺される。
「忍者切り影武者丸」「笑った時音がする」「うらみ」「金(おあし)」「友情」「恐喝」
「完全犯罪」「あつい室」「三人の武士と百姓と」「感ちがい」「12人の恐れた男たち」
「無口な奴」「愛と死の詩」「孤独」「けんじゅう物語」
「殺し屋人別帳シリーズ(①七本のドスと竜②両腕のないチャンピオン③ろくでなし)
昭和36年(1961) 24歳
長男 志基誕生。シリーズ「黄色い涙」漫画家残酷物語スタート。(至昭和三十九年)家出。
上井草にアパートを借り、新宿でフーテン生活。ソ連百人宇宙衛星。
「殺し屋人別帳(④右翼少年⑤ 松の恋⑥道⑦悪魔が天使の心を持った時)」「虹」
「十年計画」「夢のような話」
昭和37年(1962) 25歳
清水崑を知る。さいとうプロの食客となる。
シリーズ「錆びたやつら」「人間劇場」スタート。 フーテン生活が続く。
キューバ危機。
昭和38年(1963) 26歳
「鉄腕アトム」放映。新宿のフーテン生活が続く。ケネディ大統領暗殺。
「少女フレンド」「マーガレット」「少年キング」創刊。
「少女マリ」「黄色い涙 漫画家残酷物語(①障害保険②ガン組③少年の日のけだるい孤独
④被害者⑤坂道)」「漫画家残酷物語(⑥うすのろ⑦雪⑧ラ・クンパルシータ⑨嵐⑩嘔吐⑪心
⑫ひろいもの⑬漫画家とその弟子⑭哀蚊)」「錆びた奴ら(①死人作り)」「すなやま」
「春の雨」「にいちゃん「なんだろ君」「ステッキ親子」「人間劇場(①裏街②月の下の一人
③おふくろ④蜃気楼⑤きず)」
「人間劇場(⑥いしだたみ⑦白いバラ⑧夏の終り)」「ショートショート(ハエと情熱
/さんりん車/道づれ/完全犯罪/無念殺法/開眼/殺風/斑鳩鉄兵/首)」
昭和39年(1964) 27歳
阿佐ヶ谷に戻る。夏、虫プロ入社 「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」の演出を手掛ける。ガロ創刊。
東京オリンピック開催。
「黄色い涙 漫画家残酷物語( 遭難 びんぼうなマルタン 陽だまり)」
「錆びた奴ら(③太陽をぶちおとせ)」「チビッコ・セブン」
「いじめっ子サブ」「もうひとつのクリスマス」「三郎とからすてんぐ」
昭和40年(1965) 28歳
虫プロで「ジャングル大帝」演出を続けながら、「刑事」に短編を発表。
ベトナム北爆開始。
「刑事(マルマル食堂の午後/雨の季節)」「進め!レオ」「大魔神逆襲」「復讐」「挑戦者AAA」
「黄色い涙 ダンサンコレクション(①生命)
昭和41年(1966) 29歳
虫プロ退社。COM創刊。漫画喫茶コボタン(新宿)にて永島慎二展(11月1日から14日)。
中国文化大革命。ビートルズ来日公演。
「涙」「ダンサンコレクション(①生命)」
アシスタント(地獄プロ)村岡栄一・向後次男・三橋誠
昭和42年(1967) 30歳
シリーズ黄色い涙「フーテン」発表。至昭和44年。
「柔道一直線」スタート。原作・梶原一騎。ソウル・スタインベルグ、アンドレ・フランソワを知る。
「かたみの言葉」「人形劇」「青春裁判」「黄色い涙 フーテン(春の章1・2・3/夏の章1・3)」
「死神館」「豹マン(作・うしおそうじ)」「源太とおっかあ」「あばれパンチ」
「柔道一直線(作・梶原一騎)」「網走番外地」「ク・ク・ル・ク・パロマ」「仮面」
「黄色い涙 ダンサンコレクション(②アシスタント③かかしがきいたかえるのはなし④はえ
⑤禁じられた遊び⑥小さな世界)」
昭和43年(1968) 31歳
6月長女 史 誕生
「柔道一直線」テレビ放映。六月 長女史誕生。「民話シリーズ」スタート。「若者たち」連載開始。
4/10~6/17、アメリカ・メキシコ旅行。「少年」休刊。「少年ジャンプ」創刊。
三億円事件。
「黄色い涙 ダンサンコレクション(⑦風っ子)」「黄色い涙 フーテン(夏の章4・5/秋の章1)」
「シリーズ民話(①おそめこのへんか②さるかに昔③ふるやのもり)」「ハロー宇宙おじさま」
「草笛童子」「心の森に花の咲く」「夜明け」「虹」「かやの中」「朝日をあびて死」「地下鉄サム物語」
「拳銃物語」「赤貧」「シリーズ若者たち(①小さな城②晩秋③冬の恋)」「せむしの肖像」
「げんこつの味」「シリーズ断片(①男と女②マドンナの宝石③マリン海上④さんきゅう)」
「進め!まんがん」「殺人者たち」「はたちの夜」
昭和44年(1969) 32歳
学生運動激化。東大安田講堂へ機動隊突入。アポロ十一号月面着陸。
「少年ブック」「ぼくら」休刊。「少年チャンピオン」創刊
「柔道一直線」TV放送開始。全92話
「青春劇場(④孤独な日々のあそび⑤赤春)」「シリーズ民話(④つる⑤はなだれこぞう⑥かさこじそう
⑦うらしま)」「漂流者たち」「丘の上のホロ」「シリーズ若者たち(④春の息吹⑤初夏と汗
⑥美酒の香り⑦太陽と海と悲しみと⑧ある恋の物語⑨シェンシェイの場合⑩望郷)」
「もうひとつの世界」「その周辺」「太郎どんとかわうそどんときつねどん」「風にふかれて」
「あつい室」「旅人たち」「黄色い涙 フーテン(夏の章6・7)」
「黄色い涙 フーテン(夏の章7・8・9/秋の章4)」「シリーズ若者たち(⑪春告鳥)」
「東京最後の日」「オムニバス・恋」「笑わないで下さい!」
昭和45年(1970) 33歳
「柔道一直線」降板。休筆。5月 ポエム(阿佐谷)にて原画即売展。大阪万博開催。
「日本のむかし話(①げんごろうのたいこ②てんぐのかくれみの③おむすびコロリン④かもとりごんべえ
⑤のはらのはなし⑥ねたろうくん⑦ゆきおんな)」
昭和46年(1971) 34歳
仕事場を阿佐谷マンションに移す。
シリーズ黄色い涙「うすら列伝」開始。
「少年画報」「まんが王」休刊。
「四畳半の物語」「童謡シリーズ(①花いちもんめ②とうりゃんせ)」「はだしのブン」
「黄色い涙 うすら列伝(①つきにつかれた男)」「ソウルの響き」「どんぐりと山猫」「まんが公園」
「いじめっ子サブ」「天使のいる街」「漫画わかもの史」「雪ン子」「イメージ・カレンダー」
「小さな愛の物語」「創作童話さしえ(①風のおくりもの②おとのさまはごぞんじない③べっかんこ)」
「漫画童話(①オオカミのはなし②カコちゃんのケーキつくり)」「漫画博物館(①けむし②かめん
③帽子と制服④熱帯魚⑤枯葉⑥幻覚」
昭和47年(1972) 35歳
「花いちもんめ」第17回小学館児童漫画賞受賞。
チャールス・シュルツを知る。
「旅人くん」スタート。(目標一万枚)
2月 連合赤軍浅間山荘事件。
「漫画博物館(⑦五月蝿⑧冬のたび)」「漫画童話(③はらっぱのはなし④わがはいはネコである)」
「黄色い涙 うすら列伝(②ラ・ジョローナ③馬鹿狩り)」「くまは何といったか(イラスト)」
「オムニバス・旅人たち」「まんが若者論」「海」「おしゃべりナイト」「井上陽子の場合」
「教育新幹線」「おに」「表紙絵」
「旅人くん」スタート
昭和48年(1973) 36歳
ヘラブナ釣りに通う。インド、パリ、ギリシャ旅行。横山隆一氏と杉浦幸雄氏「漫画集団」に加入。
清水画廊(荻窪)にて「旅人くん展」(12月18日から23日)
第一次オイルショック。
昭和49年(1974) 37歳
NHK銀河ドラマ「黄色い涙」20回放送 原作は「若者たち」。
「漫画のおべんとう箱」で第三回日本漫画家協会優秀賞受賞。
この頃より本格的に油絵を始める(目標五百点)。
米ウォーターゲート事件。
「残光」「この街あの頃」
昭和50年(1975) 38歳
シリーズ「青いカモメ」スタート。石神井に仕事場を移し、漫画を描く。阿佐ヶ谷で油絵を制作。
7月 沖縄海洋博。
「シリーズ青いカモメ(馬鹿狩り①②/その場しのぎの犯罪/少年期たち/風の吹く街/
リリイのブルース)」「風の吹く街」「そのばしのぎの犯罪」「オーチンチンの唄」「自殺のすすめ」
「風っ子ナイン」「ぼくの手塚治虫先生」「ね太郎の大冒険」「儀式」「旅人くん」
「恋人たちの絵本(文・早乙女勝元)」「あしたのブギウギ」「ぼくの出会った女の子」「北斗七星」
「トットの恋」「リリィのブルース」「表紙絵」「夕日の街」
昭和50年(1975) 39歳
「旅人くん」「ね太郎の大冒険」「少年期たち(①自転車②雨宿り)」
丸善‣第三回「漫画家絵本の会」に参加。
昭和52年(1977) 40歳
鉄道模型を始める。
王貞治ホームラン世界記録。
「少年期たち(③ドラムカン乞食④鍵ッ子⑤待っていた出会い⑥うしなわれた時⑦ある会話
⑧雨上がりの会話⑨初夏の香り⑩夏の一日⑪屋上の三人⑫ひこうき⑬チビ⑭男たちの冬)」
昭和53年(1978) 41歳
仕事場を阿佐谷のみにまとめる。
日中平和条約調印。
シリーズ赤い風船「愉しかりし日々」スタート。
「少年期たち(⑮太陽くんの冒険⑯次郎くんの平凡ないちにち⑰完全犯罪⑱走る子)」
「まんが昔ばなし(①旅人の一夜②米福栗福③よねさのぼがぁ?ん④つつじのみち⑤鬼の面こ
⑥黄金野原その1・その2・その3⑦まんが昔ばなし⑧まんが昔ばなし
「シリーズ赤い風船 愉しかりし日々(夏休み/赤い日/秘密・前/秘密・後/夢のであい
/知らされぬ春/とまった時の間/冒険太郎くんの午前中の散歩)」
「ろうせきでかいた旅(一章・ろーせきとの出会い/ニ章・暗黒をぬけると/三章・ひとつの世界の終り
/四章・地球の中のユートピア/五章・ガラスの山を登って/六章・希望のトビラ」
昭和54年 (1979) 42歳
清水画廊(西荻窪)にて「15人の絵画展」に参加。
ソ連、アフガニスタン侵略
昭和55年(1980) 43歳
大麻取締法違反で逮捕。
12月 ジョン・レノン暗殺。
昭和56年(1981) 44歳
「ぽえむ童話館」「象のいた動物園(キャラクター設定)」「永島慎二共和国」
「パロマ舎豆本(人生激情/一郎くんの長い旅)」「まんが童話館(①?⑩)」
「イラストエッセイ(漫画サンテに掲載)」
絵本「せんたくもの」「イラスト集・四季」「夜の随想」「ザ・テレビジョン 一コマ漫画」
アニメ映画「象のいない動物園」キャラクター設定、場面設定、絵コンテを担当。
グループ・タックに通う。
長野県白馬で「漫画王国」開催。
昭和57年(1982) 45歳
フォークランド紛争。
昭和58年(1983) 46歳
COBUで個展開始。
自刻自摺版画。「こねこ ねこ ねこ」
東京ディズニーランド開園。
「一コマ漫画」「川釣り教室挿し絵」「絵本 赤づきんちゃん」「アクション6ページ」
「西川のりお・たこやきタイガース・レコードジャケット」
「清水旭詩画集(だれがこの荷物を受けとるか)挿し絵」「迷子の恐竜マイゴン」「真夜中のせんたく」
「新版昔ばなし(桃太郎/竹取物語」「コンコース」「サンパワー」「阿佐谷怪人ぐらいだあ」
「漫画サンデー オジサン連合の輪(イラストエッセイ)」
「演劇アンサンブル トランプの国 ポスター&パンフレット」「うそくらべ(装丁)」
「雪渡り」「一郎くんの長い旅」「歴史読本スペシャル永島慎二特集」
昭和59年(1984) 47歳
COBUにて第二回油絵展。シリーズ「白い日月」「さまよえる夜昼」スタート(至85年12月)。
ガロ 二十周年パーティー。7月 ロサンゼルスオリンピック。
「木造モルタルの王国」ガロ20年史出版記念会。
「時代 エッセイ・イラスト」「地上 阿佐谷村便り」「パートナー ニューヨーク」
「PHP巻頭イラスト・エッセイ」「サンマの化石(教科書挿し絵)」「五年寝太郎」
「週刊小説挿し絵4回」「手塚ファンクラブの色紙と文」「ピーターパン」
「赤づきんちゃん(立体絵本)」「阿佐谷界隈怪人ぐらいだあ単行本化」
「オジサン連合の輪・漫画サンデーエッセイ」「8人の漫画家冒険物語」
エッセイとイラスト「駒作り天国と地獄」週刊将棋新聞に連載(自八月至九十一年四月)
「ロマン・ロード」港と男の物語(藤木幸太郎先生誕生百周年記念 発行者藤木幸太 発行所藤木企業株式会社)
昭和60年(1985) 48歳
「まんが昔話」スタート。
8月 日航ジャンボ機御巣鷹山に墜落。
昭和61年(1986) 49歳
東君平氏死亡。
昭和62年(1987) 50歳
スペイン旅行。
瀬戸大橋開通。
昭和63年(1988) 51歳
8月 おおば比呂司氏死亡。
昭和64年 平成元年(1989) 52歳
「早稲田古本共和国」表紙を担当。
1月 昭和天皇裕仁崩御。
2月 手塚治虫先生死去。
中国天安門事件。
平成2年(1990) 53歳
3月初孫 明(めい)誕生。
イラク、クウェートに侵攻。
平成3年(1991) 54歳
増山雅人氏(駒作りの師)と知り合い、将棋研究会に入る。駒作りに没頭。
湾岸戦争。バブル崩壊。
「ゆうれい学校」「好きなもの(丸善漫画家絵本の会・第十八回展作品集)」
平成4年(1992) 55歳
7月 バルセロナオリンピック。
色々な人に印(遊印)を彫る。
「ノラ猫のふら」「思い出のアルバム(丸善漫画家絵本の会・第二十回展)」
平成5年(1993) 56歳
5月孫 快誕生。
1月前川かずお氏死亡。
英仏海峡トンネル開通。
「ゆうれい運動会」「しろぶたが怒った」「ゆうれい学校 家庭訪問」
平成6年(1994) 57歳
平成7年(1995) 58歳
1月 阪神淡路大震災。
3月 地下鉄サリン事件。
「麦畑になれなかった屋根たち」「かかしがきいたかえるの話(絵本)」
平成8年(1996) 59歳
藤子・F・不二雄氏死去。長井勝一氏死去。「宮沢賢治の世界」イラスト展を大阪で開催。
7月 アトランタオリンピック。
ペルー日本大使館公邸事件。
「銀河鉄道の夜」「宮沢賢治漫画館」「親子で作ったちから号」「別れの時」
平成9年(1997) 60歳
ぽえむにて「銀河鉄道の夜」原画展を開催。
冬期オリンピック長野大会。
「日曜日の午後」
平成10年(1998) 61歳
長井勝一漫画美術館開館。記念講演「生きることの意味を考える」
石ノ森章太郎氏死去。
「名句の世界を描く(丸善漫画家絵本の会)」
平成11年(1999) 62歳
阿佐谷COBUで18回続いた個展の終了。長年暮らした阿佐谷より西荻窪に転居。
舞台「アイ・ラブ・坊ちゃん」パンフレット挿し絵 豆本「道化の時節Ⅰ」
最後の漫画作品「ある道化師の一日」
平成12年(2000) 63歳
7月 三宅島噴火。9月 シドニーオリンピック。
「旅人くん①」「旅人くん②」豆本「道化の時節Ⅱ」
平成13年(2001) 64歳
3月 阿佐ヶ谷の自宅を引き払い、西荻窪に転居。
4月 阿佐谷河北病院透析センターで人工透析を始める。横山隆一氏死去。
9.11 ニューヨークテロ
平成14年(2002) 65歳
丸善「漫画家絵本の会」活動終了。
平成15年(2003) 66歳
9月4日 愛猫「トラ坊」息をひきとる。享年9歳。
春より毎週土曜日、永島慎二作品コレクター三上勉氏との外出を楽しむ。
8月 あだち勉氏(充氏実兄)を偲ぶ会へ出かける。
平成16年(2004) 67歳
熱帯魚に夢中になる。
平成17年(2005) 享年67歳
2月 インフルエンザで河北総合病院に二週間入院。
6月4日 三上勉氏と恵比寿の山頭火ラーメンを堪能後、阿佐谷のCOBUで皆とコーヒーを楽しむ。
6月10日 永眠 戒名「永閑院慎高美久居士」
7月29日 鎌倉瑞泉寺大下一真御住職により納骨 墓碑名 永島愼ニ
長新太氏死去。
平成18年(2006)
一周忌 阿佐谷のCOBUで回顧展。
加藤芳郎氏死亡。
平成19年(2007)
春 映画「黄色い涙」公開。
6/7~6/19阿佐谷のCOBUで回顧展。